『終の信託』 観に行ってきました!

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終の信託

先週の日曜日に、相方にさそわれ久しぶりに映画館へいってきました。

場所は府中市のTOHOシネマズでした。

周防監督の映画は前回『それでも僕はやってない』をやはり同じ映画館でみたのですが、とても、面白かった(?内容的にはかなりしんどい内容でしたが。。)ので、今回もとても期待してみにいってきました。

題材が題材だけに、今回は自分の父のことに重なってしまい、後半はほとんど泣いてました(涙)

人は植物人間状態になったときでも、意識はあるというのは衝撃的でした。

とはいえ、その状態にもよると思いますが。。。

表面的に指一本、まばたき一つできなくなっても、痛みを感じている、死ぬ直前まで、聴覚は機能している。ただ、意思表示ができないために、伝える術がない。

私の父は3年前に亡くなりました。はっきりとした原因は今でも不明です。唯一死に目に立ち会った母は説明されても、記憶しなかったようですし、気にも留めなかったようです。

ただ、父が亡くなったという事実を受け止めることで必死だったようです。

決して、長すぎるとはいえなかったかもしれない闘病生活、パーキンソン病。

父の病気の進行はとても早かったのです。

それまでに、母は父と終末医療やいざというときの延命措置について話し合っていたようでした。二人の意見は一緒で、延命措置はしないで欲しい。できるだけ、痛みは軽減して終わらせて欲しいというものだったようです。

しかし、実際、そうなった場合、やはり葛藤がありました。何度も話し合っていた母でさえ、意思疎通ができなくなっても、どんな状態になっても、生きてさえいれば・・・・

私も勿論、そんな悪くなる一方の状態でも、いつか奇跡がおきるのではという希望をもたずにはいられませんでした。

しかし、それと同時に意識はあれども痛いともいえない、自分のちからで飲み込むこともできない、食事もチューブで直接胃に運び込まれる、寝返りを打つこともできない状態の父、果たして父はどう思ってるのか?どうして欲しいのか?

相当苦しかったと思います。痛みを与えるだけの生だったのかもしれない。

今考えても、迷いは深まるばかりです。

父が亡くなって、もの凄く悲しかったけど、これでやっと楽になったねという思いも正直おなじくらいあったような気がします。

ずっと、まじめに働いて働いて、やっと楽になれる歳になったのに最後までこんなに苦しんで、父の生涯を思うと今でも胸が苦しくなります。

そんな感じで、映画を観ていらいついつい思い出すようになってしまいました。

私的にはシンプルにまとまっていて、ストレートに感じられる映画だと思いましたが、相方に言わせると思ったよりよくなかったそうです。

まぁ、期待が大きかったぶん余計そう思ったようですが。

相方いわく、後半の検事とのやりとりをもっと回想を交えたほうが、よかったそうです。

でも、私からいわせると、あえて集中させたところに面白みがあったと思ったのですが、どうも、完全対立しました。正直好みの違いでしょうけど。

それと、検事役の大沢さんの役作りにいまいち説得力がでなかったそうで。。。それについては、私も結局どっちつかずだったなということで、ほぼ一致。まぁ、これも個人的な好みですが。(個人的に大沢さんは好きですが)

 

 

 


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